こんにちは。
4月23日に踏破した高野山町石道は
1200年以上も人々が行き来した思いを想像し、歴史と文化を感じながら静かに歩くことができる素晴らしい道でした。
日本各地に素晴らしい古道や参詣道はありますが、これだけの長い距離、しかもほとんどが舗装されず残されている道はここだけではないかと思います。
2004年に「紀伊山地の霊場と参詣道」として世界遺産に登録された町石道。
その概要や地図は以下のような素晴らしいサイトがあるのですが
やっぱりですね、実際に自分の足で歩いて感じたことは
一般的なガイドではわからないし、表現できないものがたくさんあるなと感じました。
それがこの拙いブログで少しでも伝わればよいなと思います。
装備と私のスペック
今回の装備と私の体力スペックをご紹介。
ご自身の町石道めぐりの参考にしていただければ。
装備:ゆるいトレラン仕様。急こう配や岩場などはほとんどないので。
(なんじゃその説明は?と思われるかもしれませんが、トレランしてる人には伝わるかなと)
慈尊院から14kmほどは自販機などの補給はないので水分多めで。今回は1.5Lでした。気温は20度以下でした。シューズはランニングシューズ。初心者用のクッション厚めのアディダスエナジーブースト。全く問題なかったです。でもスピードタイプのトレランシューズがベストかも。虫よけスプレーは持っていきませんでしたが大丈夫でした。初夏以降は必須かも。ただ、そんなにジメジメした場所や草が生い茂ったところはない印象です。ヒルは絶対いないと思いました。
体力スペック:現在の走力はサブ4.5あたりの56歳のおじさんです。今回は一人で黙々と走れるところは走るスタンスで4時間20分でした。休憩少な目。
今回の行程と印象
スタートは「南海電鉄・九度山駅」です。
「真田丸」で最近?(50過ぎのおじさんには数年前は最近です)
脚光を浴びた真田幸村ゆかりの地で、それを前面にアピールしてます。
駅から慈尊院を目指して歩きます。途中に真田庵とかありましたが時間がないのでスルーです。いつかじっくり歩きたい。(結局行かないパターンですね)
参詣道の入口へ
そんなこんなで高野山参詣道の玄関口といえる慈尊院へ。
すぐ近くに和歌山を代表する川「紀の川」があり、昔は船でここまで渡ってこられたそうです。(ブラタモリで言ってました。2017年なのですね。昨日のことのようです)
後醍醐天皇の父にあたる後宇多上皇もここに来て、念願の高野山に来れたと感激の涙を流したそうです。そしてどんな偉い人でも馬や籠を使わず自分の足で町石道を歩いたそうです。現在はクルマや電車でサッと来れてそのまま歩いて行けるなんて贅沢ですね。
高野山は標高800mほどの山地なので、ふもとの慈尊院はその寺務所としても機能していたそうです。年貢の管理とかも。(高野山は領地もあったのです。お金持ちだったのですね)
後で知ったのですが昭和の時代には慈尊院から高野山の20kmの道のりを毎日!!道案内した白い犬がいたそうで、みなから愛されたその像がここにあるそうです。
あと、空海のお母さんが地元の讃岐(だったかな?)から息子を訪ねてやってこられ、ここに住まわれて生涯を閉じたそうです。空海さんは母を訪ねて月に9度ここに来られたとか。だから九度山(諸説あり)なのだそう。興味深い話がいっぱいあるところです。
そんな慈尊院からすこし上がったところにある神社に180町石があります。
町石道のスタート地点ですね。
1町ごとにある町石をたどって行きます。しかし1町の約110mって道標として絶妙な長さだと感じました。ん、この道であってるかなと思いはじめるジャストタイミングであったりするのですね。実際はほとんど一本道で迷うことはないでしょう。
参詣の道としてだけでなく多くの人の生活や日常、あるいは仕事、お勤めの道で建築資材なども運んだと思われるので、距離は長いものの勾配はゆるく行き来しやすいトレイルでした。飛脚さんとか「ここ走るのは気持ちええわ」とか思ったんじゃないかな。
そのほか道中に空海さんが袈裟を掛けた石とか、お母さんを守るために押し上げた石とか白い蛇が現れた石とか(石ばっかりですね)いろいろな見どころを見学しつつ楽しく走りました。
お地蔵さんみたいなおじいさんに出会う
途中で優雅にゆっくり歩いているおじいさんがいて「あのペースで高野山目指すんやったら絶対日が暮れるな、大丈夫かな」と思って声を掛けたら「そうですね、僕の足では(着くのは)7時ごろかな」と話されたのでおもわず「ライトとか持っておられますか」と聞くと「いや、ないですね」と余裕の笑顔でした。
額に汗がにじむのを感じながら言葉をさがしていると「まあ、この先に駅に降りる道もあるからその時はそうしますかな」と話され(あ、けっこうこの道に慣れてはるんやな)と安心しました。あまりに穏やかで余裕があってにこやかなおじいさんだったので後から「ひょっとしてお地蔵さんの化身やったんちゃうかな」とか思ったりしましたね。
そんなかんじで山道を歩いていくといきなり現れる巨大な建物。
感想
長い道を黙々と、しかし楽しい気持ちでたどり着く仏教都市、高野山。
歩くからこそたどり着いた喜びと感動は大きくなるものだと感じましたね。
私は真言密教の信者ではありませんが。
老人になっても、死ぬ間際でも自分の足で行きたいところに、たとえそれがトイレでも行ける自分でありたいなと思いました。そのためにも無理せず怪我せず故障せず楽しく歩いて走っていきたいものだと感じた一日でした。
ありがとうございました。
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