アラウンド・サブ4!!

一番若い今、サブ3.5達成へ!58才です。無理なく故障なく走り続けることが大きな目標です

ふるさと能登へ・・

こんにちは。

 

12月1日の国宝松江城マラソンを激走してから4日ほど完全休養してジョグ再開しましたが、なかなか疲労が抜けてきません。冬の出不精とあいまってあまり走れていません。

 

それならば・・今年やりたかったことをやっておこう。

 

父母の実家である、石川県珠洲市にいってきました。

そろそろ行ってもいいだろう、と判断しました。

 

親戚筋からの情報によると、建物の損壊はすさまじく、古い家はほとんど全壊。

実家も全壊。解体して更地になったそう。

 

主要道路は復旧はしており、おおむね通行可能とのこと。

石川県のHPでも確認。観光サイト「今行ける能登」でも珠洲市は入っている。

数少ない宿泊施設もけっこう空きがありました。

ゲストハウスのドミトリー部屋を予約して出発しました。

 

諸行無常を実感する

今回の主な目的は

・実家の跡地をこの目で確認。

・お墓参りと清掃

・連絡がとれない「母のいとこ」の消息の手がかり確認

でした。

 

珠洲市の父母の実家は奥能登地域の港町独特の奥行ある妻入り住宅が多く、美しい街並みの一角にありました。

                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                           

珠洲市の名酒「宗玄」の看板が見えます。

同じ場所ではありませんが、現在の同じ道筋です。

比較的築年数の浅そうな家屋がかろうじて立っている・・という感じでした。

 

 

珠洲市を代表するショッピングセンター”シーサイド”とその通り

1979年(昭和54年)に開業した珠洲市随一の複合ショッピングセンター。

「シーサイド」帰省のおりには、ここに行くのが楽しみでした。

 

解体を待つばかりです。

正月の地震の津波で完全に破壊されてしまいました。液状化もひどく、道路がぐわんぐわんでした。

港や学校の校庭などは仮設住宅がたっています。

実家跡。本当にここなのか親戚に電話で確認したほどでした。

本家の実家は、小学校からけっこう歩いて着く記憶がありましたが、周囲に建物がないとびっくりするくらい「すぐそば」でした。

 

基礎はしっかりしているのが希望。

母方のお墓は墓石が倒れていましたが大きな損傷はなし。

枯れ葉を取り除いたあと、墓石をきれいに拭きたかったのですが、水を確保できず、このままごしごし拭くと石の光沢がなくなるので断念。また来ます。

 

母方の実家は以前からすでにだれも住んでいない状況でした。

それでも毎年のように実家を離れた母の兄弟が集まる大切な場所でもありました。

 

私にとっては少年時代の毎年夏の帰省の思い出そのものでありました。

形あるものはいずれ壊れていきますが、あまりに急だとキツいものがあります。

 

母のいとこの消息確認は、自宅は全壊状態で解体を待つ状態。

張り紙等なく、特に手掛かりなし。

市役所に訪ねて確認。安否の確認などはできないとのことでした。が、

 

母のいとこは珠洲市の伝統工芸「珠洲焼」の陶工でもあり、公務員時代から数百年途絶えていた珠洲焼の復活に貢献してきました。その記憶があったので市役所の方に珠洲焼の関係団体の会長さんの電話番号を教えていただきました。

 

それを通して本人と母が連絡を取ることができました。私にとっても大変うれしい限りでした。

 

また、本家の実家に住んでいて、金沢市のとなりの白山市で避難生活を送っている親戚

に実家の場所を確認した際、「是非、寄ってって」といわれたので寄せてもらい、いろいろ話しました。

 

実家が解体されたのは本当に残念であるが・・・

都市部の街中で生活していると「便利さ」と「暮らしやすさ」を実感する。

買い物や通院もしやすいし、おなじく避難してきた方との交流もあるし、寒さもしのぎやすい。高齢で持病もあるし、これから奥能登へ帰るのは・・・

ということでした。 本当にそうだろうなと思いました。

残るものは想い出だけ。ならば

つくづく実感したのは諸行無常。

残るのは想い出だけだなぁ。ということでした。

 

それならば、想い出をたくさん作っていこうと思いました。

 

自分にとっての大事な想い出とは何だったかを考えると、「挑戦したこと」「苦しみもがいてあがいたときと、その先にみえたもの」でした。

 

まぁ、いうてもそれほどたくさん努力とかしたことはないのですが・・・

いろいろと大変な目にあっても「そういえば何とかなってるな」というのが実感でもあります。

 

58才の自分が前向きにかつ具体的に挑戦できることといえば、やはり「マラソン」かなぁと思っています。

 

体はほとんど常にだるいし、回復も遅いしで、ぼーっとしているとあっという間に時間がたつので、老体に鞭打って走っていこうと思います。

 

なのでサブ3.5への挑戦はこれからも続けていく所存です。

 

湿っぽい話だけではあれなので・・といいつつ

宿泊先で懐かしい1980~90年代の雑誌が置かれていて、その時代にタイムスリップできました。 なかでもびっくりしたのは最初に何気なく手に取ったものが、当時人気絶頂アイドルだった、中山美穂さんの特集だったことです。

平成元年の中学2年生の学習雑誌。

 

この時期に初めてパリに行ったのですね。10代の貴重な時期に海外で刺激を受けてその後の人生に大きな影響があったのでしょう。 

 

その他当時のアイドル、酒井法子や浅香唯の記事やメッセージがあって、その時の受け答えがそれぞれの人生のその後に直結しているなぁとしみじみ感じました。

 

昭和レトロや平成バブルを回想して味わうこともこれからの自分の趣味&ライフワークになっていく気がします。

 

ほとんどランニングに関係ないことを長々と書いてしまいました。

これからもよろしくお願いします。

 

ありがとうございました。

(^^)/~~~

今月の走行距離

目標 忘れた

本日まで 77km